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戸松有葉の ショートショート1001作を目指す旅

ショートショートとAmazon電子書籍販売・配布の活動をしています。

954 新しい刑罰

ノーマル(シリーズ外)

 電車の座席に腰掛けると、ここまで男を連れてきた者たちは立ち去ってしまった。
 久しぶりに拘束具も檻もなく、自由に動ける。とはいえ、車内限定だ。電車の扉は閉められ、すでに動き出しているのだから。
 電車内にはその男一人しかいない。一人というのは本当に一人で、運転も完全自動だ。あるのは監視カメラの目くらいであり、それを通して他者からの干渉を受けている。
 この電車内で、犯した罪を償い、更生したと認められた場合のみ、電車からの「出所」が可能となる。男が課せられたのは、そういう刑だった。

 男も、国民の大半も、この刑が誕生した経緯や意味を理解していない。
 密室で議論が為されたのではない。充分オープンで、国民も参加・理解できる状況にあったのだが、ほとんどの国民が明後日の方向の話ばかりしていたおかげで、いつの間にかこの法案が通り、適用されるようになっていた。
 議論がまともに行われなかった原因は、死刑制度に関わる議論だったからに他ならない。電車刑は死刑にも代わりうる画期的な刑という位置づけだったのである。
 この国には死刑制度があり、死刑が適用される罪の場合、裁判で膨大な時間・金・人材が使われてきた。死を与えるかどうかとなれば、慎重にならざるを得ない。
 また、死刑制度そのものへの反対・疑問もある。
 人権云々を持ち出すと馬鹿にする人たちも多いが、憲法での整合性を考えれば、確かにおかしい。
 他の刑罰とのスタンスの違いもある。懲役刑は、この国において更生のための刑なのに、殺してしまっては教育刑にならない。(だから死刑囚は刑務所に入らない。)
 死刑判決や死刑執行は、当然人殺しだ。刑法の殺人罪ではないというだけであって、人殺しには違いない。つまり誰かに殺人の精神的苦痛が押し付けられている。苦痛を感じさせない工夫があっても、限界はある。
 死刑にメリットがない点も見過ごせない。メリットとして挙げられやすいのは、見せしめによる抑止効果だ。しかし死刑になるほどの重大犯罪に対して抑止効果が有るとの見方は、客観的データや人間の心理からして、無理があった。
 では何故、死刑制度は維持されているのか。
 国民の多くが制度賛成だからである。
 賛成理由は、被害者・遺族感情や、誤った知識に基づくもの、そして「これまでそうだったから」といった、合理性を欠いたものばかりだった。それでも数こそが正義であり、どんな権力もこれを無視できない。
 電車刑について国民単位での議論・理解が進まなかったのは、死刑制度廃止も絡んでいたことで、死刑のほうに意識が向き、「万引きでも死刑でいい(適用範囲の話はしていない)」「死刑に反対の奴は身内が被害に遭っても同じことが言えるのか(ミクロとマクロのすり替え)」といったことを大の大人が吠える、余計な情報に埋没していたからである。

 かくしてその男は、自分の受けた刑が何なのか理解しないまま、電車内に取り残された。
 この刑は当然死刑ではない。男は殺されたりしていない。そして終身刑でもない。罪を償い更生すれば出所できるのだ。
 終身刑でないことは、別の観点からもわかる。この電車内には、水や食料がない。つまり死ぬまで閉じ込められるのではなく、このままではすぐに死んでしまう。
 さっさと出所条件を満たさないといけない。
 男はそれに気付くと、監視カメラに向かって、しきりに謝罪や反省、更生の意思を伝えた。が、何の反応もない。上辺だけの言葉だからとは考えにくい。そんなことを見極められるわけがない。
 では刑務所の模範囚のようになればいいのか。しかしここは電車内で、何もできない。
 電車に乗せられて即更生せよとは馬鹿げている。しかしながら死刑や終身刑ではなかったことも事実。わざわざ死刑や終身刑にはしなかったのならば、出所は可能なはずだ。
 じっくり車内を調べる。隅々まで。変わったものは見付からない、ここは紛れもなくただの電車だ。
 ……電車?
 男はようやく、唯一逃れる方法に気付いた。扉は閉まっていても窓は開閉可能だ。つまり電車の窓を開けて飛び降りればいい。
 危険は承知でも、飢え苦しんで死ぬのを待っても仕方ない。ここは助かることに賭けるしかない!

 電車刑を受けた者の一ヶ月生存率は、現在のところ0%である。
 囚人は勝手に死んだのであって、死刑のように国が殺したわけではない。
 死刑制度は未だ廃止されていないが、電車刑誕生後、死刑判決は出なくなっていた。

(了)

 

 

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