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戸松有葉の ショートショート1001作を目指す旅

ショートショートとAmazon電子書籍販売・配布の活動をしています。

968 野球バカになるな

 彼は、父から野球の英才教育を受けていた。就学前はずっと野球の練習、就学しても休日は特に練習に費やされる。他の遊びなどしている暇はない。
 金も手間も惜しみなく使われ、家には専用のバッティング練習器具があったほどだ。野球は道具を揃えねばならないスポーツだが、それらも最高級のものを用意された。更には、栄養面も重要だからと、子供であろうともいい食べ物を与えられていた。
 勘違いしてはならないのは、決して甘やかされて育ったわけではないということだ。だからこそ、野球の技術はもちろん、他も厳しく躾けられた。
 その象徴として、父が口癖のように叩き込んだ教えがある。

 野球バカになるな。

 野球の英才教育を施しながらも、野球だけの人間になってはならないと、教育したのだ。
 一つには、そのような人間では野球が実は上達しないという事実がある。野球しか知らない野球バカでも活躍はするが、他のこともきちんとしていれば、野球への姿勢・理解が正されて、もっと活躍できるのだ。
 そして何より重要なことがある。
 スポーツ選手、特に人気スポーツの野球選手に、見られる姿。野球以外何も知らず、好き勝手に振る舞い、それでいて自分は野球が上手いからと偉ぶっている――。
 外から見れば、ただのチンピラである。気付いていないのは本人と、同じ境遇の連中だけ。
 野球で稼げる者など極々少数。すぐに野球選手という特別扱いしてもらえる環境は失われる。スター選手でさえそうなのだ、ほとんどの野球経験者はより早期で顕著だ。
 人生が悲惨な末路になることは目に見えている。当人も、周囲も、不幸そのものだ。
 だから決して野球バカになってはならない。
 彼は、父からの英才教育と「野球バカになるな」を受け、双方をしっかり吸収して成長した。

 彼は野球の名門高校に進学していた。ここ数年、常に全国優勝を狙え、結果も付いてきている強豪校だ。一発勝負(ノックアウトトーナメント)の高校野球でそれは、突出した強さを意味する。
 完全実力主義であるため、一年生もレギュラーになれる。彼もレギュラーの一員として、初の公式戦を迎える予定だった。
 予定、だった。
 彼は現在、野球部員ですらない……。
 ふいに、野球部の元先輩らと廊下ですれ違う。彼らは父が言っていた、なってはならない「野球バカ」の典型だった。野球名門校はスキャンダルを狙われている、つまり不祥事など起こさないよう細心の注意が払われている……ということはない。学校側としてはもちろんそうなのだが、当の選手や監督・コーチが「野球バカ」だと、当たり前のように暴行や恐喝が横行してしまう。スキャンダルなど、明かされるか明かされないかでしかない。
 彼は野球バカではないから、決してその中に混ざることはない。野球のルールは守るが社会のルールは守らないなどというチンピラとは違う。
 だから例えば、校則である「廊下を走るな」もきちんと守っている。元先輩らはそんなもの守りはしないが、彼は守る。
 決して走ることなく、競歩で、普通の生徒のダッシュより速い速度で、歩いている。
 廊下を走ったところで、状況によっては迷惑でもなく、自身の危険もほぼないが、彼はこの競歩で迷惑を振りまいていた。他の生徒をぶっ飛ばしながら歩くのだから、たまったものではない。
 そう、彼は野球バカにはならなかった。
 その代わり、ただのバカになった。

 彼は休日を待ち望んでいた。野球部は退部させられているため、大好きな、得意な、野球をできる休日が楽しみなのだ。幼少期は休日遊べないことに不満もあったのだが、今は野球を遊べることが生きがいと言っても過言ではない。
 年齢もバラバラな野球好きが集まる草野球に参加する。彼を迎えたチームは、彼の力を知っているから、期待もするのだが……。そして対戦相手は彼がいることを反則だと思うほどなのだが……。
 試合が始まってみると、すぐに露呈する。
 ボール回収不可能なほどかっ飛ばすホームランを放った彼は、ベースを周りながら、野球バカであってはならないからと、サッカーボールで華麗なドリブルをし、ホームベースを踏むことなくベンチに戻って、アウトに至る。
 味方は唖然としながら、こう漏らすのだった。
「やっぱあいつ、野球バカなんじゃないか。ホームラン級のバカだ」

(了)

 

 

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